相手を傷つけず相手を制御する技法が学べる

私の師である富木謙治先生からの寄稿文を掲載する。

 

我々の理想は合気道を近代化して立派な現代体育の一種目としての競技を完成することにある。

 

つまり剣道競技や柔道競技と並ぶ合気道競技の完成にある。

 

古流柔術を近代化するということは、古流の「わざ」を整理改編して、体育学的理論にもとずいて「乱取ー試合」のできるようにすることである。

 

今日の「柔道競技」は、明治十五年(一八八二)恩師嘉納治五郎先生により天神真楊流、起倒流、その他の古流柔術を近代化して創られたものである。

 

古流の技術内容は多種多様であって、相手を離れて打ち、突き、蹴り、組んで投げ、抑え、締め、挫き、ときには短刀、刀、槍、棒、その他の武器をも用いることもあった。

 

そして流祖の体験的主観的立場から工夫され、しかも、それが秘法としてあつかわれていたので、各人各様の流派をつくって対立していた。

 

今日記録されているものが一七九流(日本体育史資料年表 今村嘉雄)がある。

 

これを技術性によって大別すれば次の二となる。

 

1、徒手によって徒手の相手を制御する「わざ」

 

2、徒手によって持武器の相手を制御する「わざ」

 

「柔道競技」は前者に属する「わざ」について「乱取ー試合」の練習体系を制定した。

 

「合気道競技」は後者に属する「わざ」について「乱取ー試合」の練習体系を制定したものである。

 

さて合気道は、大東流合気柔術の流れをくむ恩師植芝盛平先生によって創始されたが、その練習体系ならびに、その裏ずけとする理念は、古流柔術の範疇に属する。

 

私が合気道の近代化について研究を始めたのは、昭和十五年二月合気道八段を許可されてからである。

たくさんの「わざ」を分類整理して、さらに他の古流柔術についても広く検討してこれを補い、新しい練習体系をつくった。

 

ことに柔道の「わざ」との比較研究によって、両者は、技術的原理においては同一性であることに到達した。

 

すなわち、基本としての「自然体の運用」力の使い方としての「柔の理」、そして最小の力によって相手を倒すための「崩しの理」は、その原理が全く同じであることを知った。

 

ただし、その表現された「わざ」は、柔道においては、相手の衣服に組み付いて「わざ」をほどこすのに比べて、合気道では、相手の素肌(とくに前腕と手首)に組みついて「わざ」をほどこすのである。

 

したがって、その練習体系としては、二分性、つまり別々のものをもたなければ、十分にその「わざ」を練磨することが不可能であることを知った。

 

そして、嘉納先生の企図された古流柔術を超流派的に整理して近代化するためには、「柔道乱取法」だけでなく、「合気乱取法」が必要であることの結論をえた。

 

すなわち二つの競技種目を要するのである。「柔道乱取法」に含まれている「わざ」は投技と固技との二部門である。「合気乱取法」に含まれている「わざ」は当身技と関節技との二部門である。古流柔術では、その流派によって、その特色があるけれども、これらの二つの乱取体系のもつ「わざ」が混在していたのである。

 

昭和三十三年早稲田大学合気道部が新設されて「合気道競技」は実験段階に入った。

 

少しおくれて成城大学合気道部、つゞいて国士舘大学合気道部がこれに参加した。

 

熱心な部員の協力により試行錯誤をくりかえすこと約十ヶ年、ほぼこれを完成に近ずけることができた。

 

これによって、合気道を現代体育学の理論にもとずいて、学校体育の教材としての位置を明かにすることができたのである。

 

私は伝統の古流柔術を愛好する。

 

古流を正しく伝承することは尊いことである。

 

同時にこれを時代に即応するように発展させることも忘れてはならないと信じている。

 

私は嘉納先生と植芝先生と二人の恩師をもつことの幸福に感謝している。

 

そればかりではない。

 

若い大勢の部員諸君をもつことによって、この道が永遠に継承され、発展するであろうことに、限りない希望をもっている。

 

 

 

私の師弟観

 

われわれは、師弟相携えて真理を愛し真理を求める。

 

そして真理の前に謙虚でなければならない。

 

われわれの道は、師の業績に発して、弟子の業績によって達せられる。

 

弟子は師の業績を母体とし足台として、これを超克して進む。

 

ここに想像がある。

 

また、師は弟子によって継承され、否定され、そしてより高いものに綜合される。

 

ここに発展がある。

 

この創造と発展のうちに、おのづからから師弟の愛と敬とが生れる。

 

師を敬し弟子を愛することは、真理を愛し真理を敬する故に外ならない。

 

 

(四四、六、ニ五 稿)

 

合気道の技は精妙です。収得するのに時間がかかります。形は舞踊のように美しく、乱取りは格闘技としては華麗に流れるように施技します。

その技法を実戦で使えるようにするには形と乱取りの往還により稽古することが上達の要点です。

 

新練習メニュー

正中線護身術メニュー

 

競技合気道の基本稽古に手刀動作がある。
手刀合わせ、掌底合わせとともに必ずはじめに行う。合気道の基本ルーチンである。
この手刀の使い方は
この素晴らしい技法をより実戦的稽古で使えるように無心塾では手刀崩し、掌底崩しを稽古メニユーに組み込んでいる。相手が正面打ち、横面打ち、突き、蹴りを繰り出してきた時に、常に適正な間合いを保ち、相手の攻撃を柔らかく受け、手首の捻り、返しにより相手を崩す稽古である。
美しく俊敏に制御する技法は合気道特有の精妙なる動作である。
競技のためだけの稽古ではこうした実戦的護身法を身につけることはできない。こうした稽古を積むことは乱取り技法の向上にもつながるものである。
 https://youtu.be/fhwA-GiR2fY?si=kuVaZRSjZWs-lbQ0

 

 

 

 

 

 

無心塾合気道は徒手対徒手、短刀対徒手の二つの稽古メニューがあります。

徒手対徒手は「当身のジャブ」を主体として、手首技、関節技、浮き技の各技法を分類して稽古します。「当身のストレート」は従来から実証済みの技法を練磨ます。総合スパーリングはすべてを融合した乱取りとなります。

短刀乱取りは短刀に対する間合いを重視したコントロール法主体として当身、手首、関節技をステマチックに稽古します。

  

 

正面当て
正面当て


 

相構え当て
相構え当て

まさに競技合気道だからできた入身投げの進化競技合気道の当身技は剣の理合を基本動作として稽古している。その中で、相構え当ては大東流や合気会、養神館の入身投げと剣の巻突きを融合させた技法として無心塾では稽古している。 動画は正面当身、逆面当身のジャブから相構え当てのストレート。競技合気道の世界ではほとんど相構え当ては試...

合気道を実戦に使う無心塾

 

競技合気道の乱取り基本の形の当身技に他流派の入身投げのような相手の顎を二の腕で覆いかぶさるようになげる技法はない。
乱取り基本の形は双方が自由意思で合気道の技法の攻防を行う乱取り稽古のための技法で構成してある。乱取りの間合いの攻防の厳しさを想定しての合気道技法なので、相手に入身で接近して二の腕で巻き込むように技をかけるのではなく、相手の顎に伸ばした手の距離で踏み込み、巻き突きの技法で相手の顔面を捻る。
ただしいわゆる形だけの会派の技法、二の腕で相手の顎を捻りながら投げる技法は、手を伸ばして相手の顎を捻る技法は延長線上にある。
つまり、全く別の技法ではない。技法は共通点があるということだ

 

 

 

 

無心塾合気道は合気道の開祖の形の再現だけを稽古するのではなく、形の技法を競技の場や乱取りの場でいかにして有効に使えるかを探求しています。

 

 


https://youtu.be/wFcpsRu425c 

突きに対しての手刀崩しは形だけの会派も稽古をしている。
競技合気道の短刀乱取り競技でこの崩しを使うことは非常に難しい。技量が離れている場合は相手の突きを予測できるので、突こうとする起こりを崩すことで相手は崩れるが、競技合気道の選手は突きは速く、しかも引きが速い、さらに2段突きはもっと厄介である。なかなか起こりをとらえることは難しいが、この崩しがうまくいけば次の連続技は非常によく決まる。
よって練習する価値はある。
https://youtu.be/cBp5gqAyZMEhttps://youtu.be/cBp5gqAyZME 

 

 


 
前回に比べてサイドへの回り込みが早く肘持ち移動からの転体がスムーズであった。受けて見るとわかるが肘持ちで運ばれると腰が浮き踏ん張って防ぐことは不可能になる。
https://youtu.be/yBlV8JN7dfE

https://youtu.be/Y7ELXsmIY8M

麻生スポーツ合気道 土曜日稽古 お気軽においでください。